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回复:东洋最大の重火力戦要塞

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速射炮
冈崎哲夫氏が炮手をしていた大炮である。型式は九四式三十七粍炮で、対戦车炮である。1000メートルの距离で゛20ミリの垂 直鉄板を打ち抜く威力があったが、ノモンハン事件の时に、既にソ连军戦车には威力不足であった。冈崎哲夫氏から自分が扱っていた 大炮はどの様なものか闻かれた。私は炮の型式をお伝えすると共に、「失礼かも知れませんが、ソ连军の最新锐のT34に対しては、 走って来るダンプカーを空気铳で撃つ様な物で、急所に当らなければとても阻止できないでしょう」冈崎哲夫氏は少し悔しそうな颜を されていた。私は申し訳无いことを言ったと后悔した。
平成14年10月16日长春の伪満皇宫博物院の展示室で、1门の大炮が展示してあった。どっ しりと大きく、良い面构えの威力のありそうな大炮であった。副院长に许可を取って大炮の撮 影を行なった。他にも撮影した大炮の写真と共に佐山二郎氏に送った。折り返し佐山氏から九 十四式三十七粍炮と知らされた。耳学问と写真のみで、九四式三十七粍炮はたいした火炮でな いと思っていたが、意外としっかりした大炮であった。百闻は一见にしかずということわざを 思い知らされた。
この大炮の欠点は、握りこぶし位の炮弾を、同じくらいの火薬で発射している事である。少 なくともこの3倍の火薬で発射していれば、ノモンハン事件では、楽にソ连戦车を破壊できた であろう。もっともT34に対しては、「ドアノッカー」程度の威力しか无い。大戦末期のソ 连军戦车に対しては、88ミリ以上の対戦车炮でしか破壊は难しい。冈崎哲夫氏は数十発の発 射で、1両のソ连戦车を破壊している。执念の奇迹と言える。


IP属地:浙江来自Android客户端23楼2013-12-15 00:24
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    伪満皇宫博物院で九四式三十七粍炮を撮影した数枚の写真を冈崎久弥氏にお送りし、机会が あれば冈崎哲夫氏の御仏前に供えてくださいとお愿いした。それが偶然にも、冈崎哲夫氏の法 事の前日に届いた。写真は御仏前に供えられた。デジカメで撮影された写真に手を合わせた。 冈崎様がご健在なら、写真を见せて速射炮の话を闻いたであろう。冈崎哲夫様、生意気を言っ て申しわけありませんでした。
    冈崎哲夫氏は、本来、中猛虎穹窖の配备を命令されていた。しかし、いざ速射炮を穹窖入り口に持ち込もうとしたら、握りこぶしの 幅で穹窖に入らなかった。やむなく别の命令を受けて、数キロ离れた虎头要塞の后方を守る第三地区の虎啸山に配备されることとなっ た。穹窖も小形で大炮も兵员も少なく、谁もが最初に全灭すると思われた。ソ连军の攻撃は慎重であり、速射炮の炮弾が発射されてい る间は、戦车の突撃をひかえた。
    第二回虎头要塞调査団の时、私は日本から実物の九四式速射炮の照准机を持ち込んだ。照准机をのぞき、50年前の戦闘を思い起こ した。虎头要塞は、中国军の国境守备队防卫范囲にあり、一般市民の立ち入りは制限されていた様だ。草むらから当时の薬荚や机関铳 の弾仓、ソ连军の鉄兜がまだ出てきていた。


    IP属地:浙江来自Android客户端24楼2013-12-15 00:24
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      2025-07-30 19:52:26
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      虎头要塞の小火器 -信じがたい事実-
      虎头要塞から発掘された小铳の薬荚类を见て、一瞬、私は信じられなかった。 三八式歩兵铳、九九式歩兵铳、九二式铳机関铳の薬荚があった。ソ连军は7.62×54R Russianで、小铳も机関铳も统一 されている。それに対して日本军は、6.5×50 Japanese Arisaka(三八式小铳用)7.7 Japanese Arisaka(九九式歩兵铳用)この二种类は弾の口径も形状も异なって、お互いに使用することは出来ない。更にややこしいのは 九二式铳机関铳の薬荚は、排荚するときエキストラクターが引っかけるリムが九九式歩兵铳の薬荚より0.1ミリ大きく、お互いの相 関性は无い。一つの防备する要塞で、铳弾だけで何种类もあって、相関性も无いとはどういった考えであろうか。恐らく炮兵は三八式 骑兵铳、新规に増援された歩兵は九九式歩兵铳、机関铳は九二式重机関铳とそれぞれ异なっていたようだが、混戦となった场合、隣の 兵士の铳弾を借りることも出来ない现象が発生する。
      旧日本军は海军と陆军で同一口径でありながら、铳弾の形状が异なって使用できない。同じ陆军でも、同一口径でも用途が违えば简 単に形状を変えてしまっている。自国での兵器制造能力が无い后进国军队ならいざ知らず、この様な军队は世界でも珍しい部类に入る と思われる。
      虎头要塞の一般歩兵の装备は非常良かった。一般に通常歩兵中队の3倍の重火器、自动火器を配备されていた。虎头要塞から一般歩 兵部队に転属した兵士は、一般陆军部队の装备の悪さに惊いたと闻く。虎头要塞歩兵中队の中队长の话では、一时期ではあったが、自 分の部队に九二式対空机関铳が40丁も配备されたことがあると闻いた。
      虎头要塞は最后まで重火器、小火器共に装备は充分残っていた数少ない要塞であった。しかしながら移动の容易な中口径火炮は南方 に送られてしまったことや、兵员の减少、配备されて2周间で戦闘に入った増援部队など条件としては非常に悪かった。これらの不完 全さが、虎头要塞の悲剧を生んだのであろう。


      IP属地:浙江来自Android客户端25楼2013-12-15 23:26
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        七年式 三十糎 长榴弾炮 大正7年に制定された本格的要塞炮である。短炮身と长炮身と二种类ある。口径は305ミリであり、398.7キログラムの炮弾を14,800 メートルの距离に飞ばすことが出来る。41糎榴弾炮が配备されるまでは、虎头要塞の主炮であった。要塞と虎头の町の间にある猛虎原 の南侧にある、コンクリートドームの中に2门収められていた。一番南侧に半地下弾薬库があり、そこからトロッコで炮弾は输送され た。大炮のあった所の一帯は农地になっていて、耕作中の农民にトロッコのレールの有无を寻ねた。おおよそあることが判ったので、 お礼にタバコを差し上げたら、自宅に急いで戻ってトロッコの枕木を谢礼だといって持ってきてくださった。当时の犬钉が残ってお り、轨道幅は600ミリであることが判った。 この大炮の炮兵は、ハルピン南东にある阿城で训练を受けていた。この阿城の演习场には、最近まで七年式三十糎长榴弾炮が、ほぼ完 全な形で残っていた。制造番号はNO20で、大阪陆军造兵厂で昭和15年に制造されたものであった。50年以上雨ざらしであったが、良 质の鉄を使っている为か、表面が薄く锖色に変化している位であった。日本の大炮の権威である佐山二郎氏の话だと、毎年1门位しか 作ることが出来なかったそうである。7年式三十糎榴弾炮としては、世界でただ1门残っているものであろう。この大炮は北京の民兵 博物馆に展示のため移动されたと闻く。 七年式三十糎榴弾炮の価格は昭和20年顷に、1门332550円で、炮弾は1発328円であった。帝国陆军の秘密兵器とされ、口径を过少に 表现するために、「二十四糎特榴弾炮」と呼んだりした。虎头要塞では「マル十(ト)」という秘匿名で呼ばれていた。 20年8月9日は兵员が配置され、活跃したと伝えられるが、全员戦死したので戦闘状况などは不明である。三十糎榴弾炮の侧面を1 0糎榴弾炮4门が守っている配备になっていたが、10cm榴弾炮は南方に移动して、炮座はカラであった。わずかに野戦用の速射炮 の炮座などが残っているが、どのような活跃をしたかはわからない。


        IP属地:浙江来自Android客户端26楼2013-12-15 23:27
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          二十四糎榴弾炮の制造番号NO1、NO2を、ソ连のどこかの博物馆で见かけたら、写真と共にぜひ御一报いただきたい。大 炮の制造番号は、炮身の炮弾を込める炮尾の上に制造所、制造年月日と共に刻印されている。


          IP属地:浙江来自Android客户端28楼2013-12-15 23:29
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            @FY伤感097


            IP属地:浙江来自Android客户端29楼2015-11-18 09:35
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