おみやげを楽しみにねと笑って出かけた夫が、白木の箱に入れられて、こんなに軽く、小さくなって帰ってくるなんて──。
ご主人ですと渡された箱はあまりに軽くて、悲しいよりもいっそ情けないような気がした。夫の入った箱は、父の葬式の時おとうさんだよと渡された骨壺よりもなお軽かった。壺と木箱では、壺の方が重いのは道理だけれど。
今回の出張は、最初から嫌な感じがしていた。まず、出発時刻の都合でいつも使っている航空会社を使えず、整備状況について国交省から注意を受けたばかりのLCCに乗らざるを得なかった。気を揉むわたしに夫は大丈夫だよと笑うばかりだったけれど、LCCの使用機が遅れたために出張が一日延びて、その一日が命取りになった。
だいたい、夫はいつもそうなのだ。楽天家で、好奇心が強くて、こどもっぽくて、どこにでも平気で行ってしまう。学生時代、いまほど栄えていなかった上海に行った時も、屋台で売っていた揚げ菓子を食べたがって、油が古いかもしれないからやめておいたらと止めたのに、大丈夫だよと笑っていくつも食べて、案の定お腹を壊した。モスクワ旅行でも、大丈夫だよと言って写真を撮りまくり、いつの間にか警官に取り囲まれてカメラを出せと言われ、ひどく怖い思いをした。それでもぜんぜん懲りるということをしないのだ。
そのくせ、あまり頑丈な方ではなかった。人前ではにこにこしていても、二人きりになると頭重感を訴えることが多かったし、肩凝りも相当ひどくて、よく、肩の上に漬け物石が乗っているようだと言っていた。昇進して部下がつくようになると、責任の重さに気が沈むと愚痴を言い、ストレスで胃を壊したりもしていた。いつかはこんなことになるのではと思っていたのだから、たとえ夫にうるさがられても、嫌われても、もっと気をつけるようにがみがみ言えばよかった。いくら悔やんでも、もう、遅いのだけれど。
白木の箱はあまりに軽くて、なにも入っていないようにさえ思える。南方戦線に出征して帰ってこなかった曾祖父の場合、家に送られてきた白木の箱には、砂がひとつかみ入っていたきりだったそうだ。夫の箱の中身を改めるのがこわくて、しばらくテーブルに置いていたけれど、いつまでもそうしているわけにもいかなくて思い切って開け、変わり果てた夫の姿を目の当たりにすると、どうしてこんなことになったのかとまたぽろぽろ涙がこぼれた。
飛行機が遅れることがわかった時、夫はわたしの携帯電話にメッセージをくれていた。
〈一晩時間ができたから、医者にかかろうと思います〉
もちろんわたしは面食らって、すぐにどこか悪いのかと訊いた。
〈それほどでもないけど、せっかくだからウィッチドクターに会ってみたい〉
ウィッチドクターというのは、まじないや祈祷でひとを治療する医者のことだ。わたしはまじないなど信じないけれど、変な薬を飲まされたりしないか心配だった。
〈あやしいことはやめて〉
〈大丈夫だよ。こっちでは一般的な医療行為なんだから。悪いところを伝えるだけ。とにかく体が重くてね〉
夫の「大丈夫だよ」が出たらもうテコでも動かないことを知っているわたしは、つい、諦めてしまった。わたしはそのことを、一生悔やむだろう。
やがて夫の携帯電話から着信があった時、わたしは電話に出る前からほとんどパニックになっていた。夫が出先から電話をかけてきたことは一度もなかったから、何かあったのだとすぐにわかったのだ。電話の相手は夫ではなく、夫に同行していた部下だった。
「申し上げにくいのですが、どうぞ、落ち着いて聞いて下さい」
そう切り出され、夫を襲った運命を聞かされたわたしは、血の気が引いて床にへたりこんでしまった。夫を日本に送る手順を相談する声を遠くに感じながら、いったいこれからどうやって生きていけばいいのだろう、そんな自分勝手なことばかり考えていた。
おみやげを楽しみにねと笑って出かけた夫が、白木の箱に入れられて、こんなに軽く、小さくなって帰ってくるなんて──。
こんな姿になってもまだ夫は、「大丈夫だよ。そのうち戻るさ」と平気な顔だ。その脳天気さが恨めしいので、ふっと息を吹きかけたら、軽く小さな夫はころころ転がって、さもおかしそうにまた笑った。
米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)
一九七八年岐阜県生まれ。二〇〇一年、『氷菓』で角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞しデビュー。一一年『折れた竜骨』で日本推理作家協会賞、一四年『満願』で山本周五郎賞を受賞。その他の著書に『インシテミル』『真実の10メートル手前』『いまさら翼といわれても』などがある。
〈「STORY BOX」2018年6月号掲載〉
ご主人ですと渡された箱はあまりに軽くて、悲しいよりもいっそ情けないような気がした。夫の入った箱は、父の葬式の時おとうさんだよと渡された骨壺よりもなお軽かった。壺と木箱では、壺の方が重いのは道理だけれど。
今回の出張は、最初から嫌な感じがしていた。まず、出発時刻の都合でいつも使っている航空会社を使えず、整備状況について国交省から注意を受けたばかりのLCCに乗らざるを得なかった。気を揉むわたしに夫は大丈夫だよと笑うばかりだったけれど、LCCの使用機が遅れたために出張が一日延びて、その一日が命取りになった。
だいたい、夫はいつもそうなのだ。楽天家で、好奇心が強くて、こどもっぽくて、どこにでも平気で行ってしまう。学生時代、いまほど栄えていなかった上海に行った時も、屋台で売っていた揚げ菓子を食べたがって、油が古いかもしれないからやめておいたらと止めたのに、大丈夫だよと笑っていくつも食べて、案の定お腹を壊した。モスクワ旅行でも、大丈夫だよと言って写真を撮りまくり、いつの間にか警官に取り囲まれてカメラを出せと言われ、ひどく怖い思いをした。それでもぜんぜん懲りるということをしないのだ。
そのくせ、あまり頑丈な方ではなかった。人前ではにこにこしていても、二人きりになると頭重感を訴えることが多かったし、肩凝りも相当ひどくて、よく、肩の上に漬け物石が乗っているようだと言っていた。昇進して部下がつくようになると、責任の重さに気が沈むと愚痴を言い、ストレスで胃を壊したりもしていた。いつかはこんなことになるのではと思っていたのだから、たとえ夫にうるさがられても、嫌われても、もっと気をつけるようにがみがみ言えばよかった。いくら悔やんでも、もう、遅いのだけれど。
白木の箱はあまりに軽くて、なにも入っていないようにさえ思える。南方戦線に出征して帰ってこなかった曾祖父の場合、家に送られてきた白木の箱には、砂がひとつかみ入っていたきりだったそうだ。夫の箱の中身を改めるのがこわくて、しばらくテーブルに置いていたけれど、いつまでもそうしているわけにもいかなくて思い切って開け、変わり果てた夫の姿を目の当たりにすると、どうしてこんなことになったのかとまたぽろぽろ涙がこぼれた。
飛行機が遅れることがわかった時、夫はわたしの携帯電話にメッセージをくれていた。
〈一晩時間ができたから、医者にかかろうと思います〉
もちろんわたしは面食らって、すぐにどこか悪いのかと訊いた。
〈それほどでもないけど、せっかくだからウィッチドクターに会ってみたい〉
ウィッチドクターというのは、まじないや祈祷でひとを治療する医者のことだ。わたしはまじないなど信じないけれど、変な薬を飲まされたりしないか心配だった。
〈あやしいことはやめて〉
〈大丈夫だよ。こっちでは一般的な医療行為なんだから。悪いところを伝えるだけ。とにかく体が重くてね〉
夫の「大丈夫だよ」が出たらもうテコでも動かないことを知っているわたしは、つい、諦めてしまった。わたしはそのことを、一生悔やむだろう。
やがて夫の携帯電話から着信があった時、わたしは電話に出る前からほとんどパニックになっていた。夫が出先から電話をかけてきたことは一度もなかったから、何かあったのだとすぐにわかったのだ。電話の相手は夫ではなく、夫に同行していた部下だった。
「申し上げにくいのですが、どうぞ、落ち着いて聞いて下さい」
そう切り出され、夫を襲った運命を聞かされたわたしは、血の気が引いて床にへたりこんでしまった。夫を日本に送る手順を相談する声を遠くに感じながら、いったいこれからどうやって生きていけばいいのだろう、そんな自分勝手なことばかり考えていた。
おみやげを楽しみにねと笑って出かけた夫が、白木の箱に入れられて、こんなに軽く、小さくなって帰ってくるなんて──。
こんな姿になってもまだ夫は、「大丈夫だよ。そのうち戻るさ」と平気な顔だ。その脳天気さが恨めしいので、ふっと息を吹きかけたら、軽く小さな夫はころころ転がって、さもおかしそうにまた笑った。
米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)
一九七八年岐阜県生まれ。二〇〇一年、『氷菓』で角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞しデビュー。一一年『折れた竜骨』で日本推理作家協会賞、一四年『満願』で山本周五郎賞を受賞。その他の著書に『インシテミル』『真実の10メートル手前』『いまさら翼といわれても』などがある。
〈「STORY BOX」2018年6月号掲載〉