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1楼2010-03-19 10:09回复
    日本棋院棋手标准照


    2楼2010-03-19 10:10
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      2004年
      2004年12月6日,亚洲围棋四强新锐对抗赛的第二轮今日结束,结果中国队以6:2击败中国台北队,韩国队以5:3战胜日本队,李映九执黑274手4目半负于金秀俊.
      左首抱拳者为金秀俊,当时为七段.
      


      3楼2010-03-19 10:24
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        2006年
        2006年8月23日,第四届丰田杯世界围棋王座战首轮开赛,朴永训九段(韩国) 胜 金秀俊八段(日本).图为32强合影.
        后排左第9位常昊,第10位古力,第11位河野临,第12位即为金秀俊,当时七段.
        


        4楼2010-03-19 10:31
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          2006年
          2006年9月6日,第11届三星火灾杯世界围棋公开赛在韩国大田儒城进行第一轮角逐,白洪淅四段黑中盘胜金秀俊七段.
          暂缺图片.


          5楼2010-03-19 10:34
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            2008年
            2008年7月,第22届富士通杯决赛在李昌镐九段和姜东润九段之间产生.金秀俊八段担任解说.图为当时日本棋院会馆.
            


            6楼2010-03-19 23:14
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              2005年
                 2005年12月3日,第30期围棋新人王颁奖礼与东京神宫外苑,日本青年馆举行.
              左为金秀俊,右为获得第36期将棋新人王的渡边明(后来的永世龙王)
              


              7楼2010-03-19 23:44
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                2005年
                   2005年8月接受日本棋界采访.


                8楼2010-03-19 23:47
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                  2005年
                      2005年8月接受日本棋界采访.


                  9楼2010-03-19 23:47
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                    2005年NIKKEI NET报道:(日文字)
                       金秀俊七段に闻く
                             同年代棋士の活跃に刺激、强くなりたい
                    13歳で来日し、あこがれの赵治勲十段に入门。入段は17歳と早くはなかったが、ここへきて各棋戦で安定した活跃を见せている。新人王戦では决胜进出を决め、9月には井山裕太四段と雌雄を决する。ここ数年、大事な対局で胜てなかったのは「足りないものがあっため」と言い、同年代の张栩王座(名人)らの活跃に「大いに刺激を受けている」と话す一方で、こうしたライバルたちに「それほど负けているとも思えない」と、対抗心ものぞかせる。张ら若手四天王を胁かす存在になれば、囲碁界はがぜん面白くなる。
                    


                    10楼2010-03-19 23:49
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                      2005年NIKKEI NET报道:(日文字)
                      ――今や囲碁大国となった韩国からわざわざ日本へ来て勉强するようになった経纬から。
                      もともと父亲が日本で仕事をしていて、子供のころから日本と韩国を行ったり来たりしていました。韩国にいたころ、アマ5段の父亲から碁を教わり、8歳ごろまでには打てるようになっていましたが、あまり面白いと思わなかった。日本で日本棋院の教室に行ったこともありましたが、周りに子供がおらず、兴味を持てませんでした。
                         本格的に习い始めたのは韩国で10歳のころ。ソウルでトップクラスの囲碁教室に通い、最初は最低18级のなかの15级でしたが、1年ほどで3段になりました。そのころ雑志を见て、正确な文面は覚えていませんが、赵治勲先生が『内弟子募集』のようなことをしているのを知りました。日本にいるときからずっとあこがれていた先生だったので是非行ってみたいと思いました。治勲先生のお兄さんである赵祥エンさんとも相谈し、结局、1年ほど祥エン先生のところへ通い、13歳で日本へ来たわけです。
                      


                      11楼2010-03-19 23:50
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                        2005年NIKKEI NET报道:(日文字)
                        ――赵治勲十段はどんな先生でしたか。
                           あまり直接指导をしない先生もいるという话を闻きますが、赵先生は逆で、ずいぶん直接指导をしていただきました。院生のころは自分の打った碁を见て论评してもらいましたし、いわゆる10秒碁を何局も打ってもらいました。数え切れないほどの対局のなかで得るものがとても多く、そのときの勉强は私にとっていまでも一番の财产になっています。
                           先生の自宅近くに囲碁サロンがあり、その中の部屋で松本武久君(现六段)や鹤山淳志君(同)らと共同生活を送っていました。院生时代はそこから幕张にあった道场へ通っていました。普段はとてもやさしい先生ですが、囲碁についてはやはりこだわりを持っていて、とても厳しい。小さいミスは许してもらえるのですが、石の方向が违ったり、考え方が误っていたりすると怒られました。そんな雰囲気の先生しか知らなかったので、先日の十段位の就位式でジョークを交えながら軽妙なあいさつをしている姿を见て、とても惊きました。
                        ――入段は顺调にいったのですか。
                           13歳で院生になり17歳で入段を果たしたのですが、あまり顺调にはいきませんでした。3年目にBクラスで止まっていた时期があったのです。私自身が怠け者だったのが原因ですが、さほど强いと思っていなかった子が1年先に入段し、悔しい思いをしました。赵先生からは直接言われませんでしたが、お兄さんの祥エン先生からは叱咤(しった)激励の意味で韩国に帰るように言われ、1年间、犹予をもらって必死に勉强しました。翌年、満を持して临んだあげく、1局目に、普段あまり负けたことのなかった松本君に负けて『今年もダメか』と思ったのですが、运良く入段することができました。
                        ――プロになってからの勉强法と、最近の调子をお闻かせください。
                           林海峰先生のご自宅で行われている勉强会や柳时熏先生主宰の勉强会など仲间内の勉强が中心です。最近は予选のやり方が変わったこともあって、各棋戦で上の方の人と当たることが増え、私たち若手にとっては大きなチャンスではあるのですが、生かし切れていない。今年もこれまで17胜11败で、负けが多い。大事なところで负けている感じです。
                        


                        12楼2010-03-19 23:51
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                          2005年NIKKEI NET报道:(日文字)
                          ――自分の碁の特色について。
                          まだ、自分の碁は何かというのを探している状态ですが、基本的には攻めが强い方で、戦いの碁だと思っています。赵先生はご存じの通りシノギの强さが特徴で、私の碁とは少し违うような気がします。ですから先生の碁を単纯に真似するのは自分にとってかえってマイナスだと思っています。
                          ――师弟対决では胜ちましたね。
                             昨年の天元戦の准决胜と、今年の棋圣戦の最终予选で赵先生と当たり、たまたま両方胜つことができました。こちらはそうした舞台で师匠と打てることが楽しみでしたが、先生としてはやはりやりにくかったのではないでしょうか。
                          ――最近はタイトル戦线で张栩王座ら若手の活跃が目立っています。
                             年齢は山下敬吾天元とほぼ一绪で、张王座は私より一つ下。同年代の棋士の活跃にはやはり刺激を受けます。私の场合、昨年の天元戦の决胜で山下さんに负けたように、肝心なところでなかなか胜てない。彼らは自分に足りないものを持っているような感じもします。ただ、全体的にはそれほど负けているとも思えないのですが――。ライバルとなると同期入段の潘善琪七段、河野临七段あたりでしょうか。特に河野七段の场合は形势判断がしっかりできていて、感性で打っている私の碁とは违うなという印象があります。
                          ――新人王戦では9月に决胜三番胜负で井山裕太四段と当たります。
                             井山君は私より10歳下で、正直言って多少やりにくい部分もありますが、练习碁で何度か打ってみてとても强いし、とにかく今、乗りに乗っている。こういう棋士と大舞台で打てるのは本当に楽しみです。
                          ――気分転换はどのように。
                             やはり体を动かすことでしょうか。潘君や柳先生、张王座ら若手を集めてフットサルをしたり、个人的にはジムに行くこともあります。
                          ――母国・韩国の若手棋士が世界戦を舞台に大活跃しています。
                             韩国では若手が集まる教室のような场所がいくつもあって、强くなるための环境が整っているような気がします。中国でも同様に积み上がってきているものがあるのに対し、日本は勉强する场所が少ない。そういう意味では环境を整えることが大事ですが、我々棋士としては结果がすべてであり、『弱いから负ける』としか言いようがない。自分自身足りないものもあるし、もっと顽张って强くなりたいと考えています。
                          


                          13楼2010-03-19 23:52
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                            日文我是一点都不会,十段兄帮忙给翻译下。。。。。


                            14楼2010-03-19 23:53
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                              2007年
                                 2007年6月28日,第33期天元戦本戦トーナメント准々决胜で赵治勲十段―金秀俊七段の师弟対决が実现しました。
                              2人は3回目の対戦、これまでは金秀俊七段の2胜です。
                              対局は6月28日(木)日本棋院でおこなわれます。
                              日本棋院公式棋戦における师弟対局の记录は189局あり、师匠84胜―弟子102胜、3持碁となっています。

                              


                              15楼2010-03-19 23:58
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