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面向广大知识分子,“高雅而不俗”的报纸

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  • 电视节目
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    霞が関の官庁に勤める女性の話である。妊娠中に産婦人科医から、仕事はいつもの7割くらいに抑えるよう言われた。「人の1・5倍以上働いている私の7割というのはどこを指すのだろう」。そう思いながら、午後9時、10時ごろまで仕事をしていた▼ 従来は深夜まで働いていたから「楽だなあ」という感覚だったらしい。しかしある日突然、切迫早産で入院する。厚生労働省の元職員、千正康裕さんが著書『ブラック霞が関』で紹介して
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    「群青(ぐんじょう)」という歌をご存じだろうか。数年前から卒業の季節に各地で歌われてきた。津波と原発事故で散り散りになった福島県南相馬市の小高(おだか)中学校で生まれた合唱曲だ。生徒たちの何げない会話から歌詞を紡いだ▼ 〈「またね」と手を振るけど明日も会えるのかな 遠ざかる君の笑顔今でも忘れない〉。この曲が全国へ広まったことを住民は誇らしく感じている。富田秀雄さん(69)もそのひとりだ▼ 長らく北海
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    東京・上野の国立科学博物館の一角で、長身の木が2本、寒空に枝を伸ばす。メタセコイアだ。「生きている化石」とも呼ばれ、命名からちょうど80年の節目を迎える▼ 名付けたのは、京都帝国大学の三木茂博士。大量の植物の化石を分析し、それまで常緑のセコイアなどと思われてきたものの中に、未知の落葉樹を発見した。セコイアに「後の(メタ)」というギリシャ語をつけた学名で発表した。太平洋戦争へ突き進んだ1941年のこ
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    10年前の6月、岩手県大船渡市三陸町の吉浜地区で、津波にえぐられた斜面から巨岩が現れた。住民がバケツで洗うと「津波」の文字が。続けて「記」と「念」も。1933(昭和8)年春の三陸大津波で河口から打ち上げられ、「津波記念石」と彫られた石だった▼ 重さ32トン。「長く土中で忘れ去られていたのに、また姿を見せた。奇跡の石です」。地元公民館長の新沼秀人さん(68)は話す。掘り出して台座に載せた▼ 昭和の津波
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    「おれたちは国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃない」。城山三郎の代表作『官僚たちの夏』は高度成長期の旧通産官僚を描く。主人公の風越(かざごし)信吾は大臣が自室に来ても座ったまま迎え、堂々と論争した▼ 風越には実在のモデルがおり、当時から目立つ存在だったらしい。それでも程度の差こそあれ、強烈な自負と熱意をもつ「国士」のような官僚たちが力を発揮できた時代の空気を、小説はありありと伝える▼ 行
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    鳴り物入りの入試改革のはずが政治の迷走で見送りに。今年の大学受験生は大変な思いをした。おまけにコロナにたたられたまま卒業へ。なぜ自分たちの学年だけこんな目に?天を仰ぐ日もあっただろう▼ 〈教育は政治の言葉で曲げられる 帆のない船のような日本で〉。今年刊行された千葉聡(さとし)さん(52)の歌集『グラウンドを駆けるモーツァルト』にそんな1首があった。横浜市立桜丘高校の教諭でもある。「これほど我慢を強
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    カレーを一口なめただけで、スパイスの種類や量をぴたりと言い当てられる人はいるだろうか。「しょうがにニンニク、シナモン、クローブ……」。安房直子さんの童話『まほうをかけられた舌』の主人公、洋吉にならできる▼ 地下室に住むこびとが舌に木の葉を乗せ、呪文を唱えて魔法をかけた。この舌があれば、高級レストランの自慢料理もたちどころに再現できる。すごい、私も欲しいと、幼いころに夢中で読んだ▼ そんな記憶がよみが
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    戦前の知事は選挙のない官選で、ときの内閣が意のまま更迭できた。国が主であり、地方は従。そんな考え方は知事公選となった戦後も温存された。変化をもたらしたのが2000年に施行された地方分権一括法である▼ 「政府と自治体は対等」という法の精神を学び直してはいかがか。そう思わせるのが自民党の竹下亘衆院議員だ。島根県の丸山達也知事が県内での聖火リレーの中止を検討すると表明した後、こう言った。「知事を呼んで注
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    たき火、あるいは携帯コンロであっても、山で使う火には不思議な力がある。ほっとする暖かさがある。早世した登山家、大島亮吉(りょうきち)が文章を残している。「ひとりで山を歩くものにとって、焚火(たきび)は最も無口で、しかも陽気な伴侶(とも)である」▼ だから「心さびしいときは火を燃やせ、その陽気な顔をみつめよう」と。ほがらかさは、ときに恐ろしい力にもなる。栃木県足利市の両崖山(りょうがいさん)で、21
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    〈めでたさも中位なりおらが春〉。一茶が新春を詠んだ句ではあるが、この時期になると口にしたくなる。紅梅も白梅も早咲きの桜も、あんなに美しいのに。憎っくきスギ花粉のせいで外を歩くうれしさが半減する▼ 日本の国民病といわれる花粉症だが、かつては英国と米国に特有の病と考えられていたと小塩海平(こしおかいへい)著『花粉症と人類』で知った。原因すら分からなかった19世紀初め、自ら症状に苦しんだ英国の医師による
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    地球外生命体はどんな姿か。タコ型やヒト型など、昔から作家や科学者たちが想像をたくましくしてきた。こんな冗談も何かの本で読んだことがある。宇宙から持ち帰った微生物を顕微鏡で見ると、不思議な動きを始めた▼ それはやがて文字を形作り、現れた言葉は「ダイヒョウシャニアワセロ」。微小な存在ながらも知的生命体で、地球の代表者との面会を求めた。荒唐無稽だが、生命の形に先入観を持ってはいけないという気持ちになる▼
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    菊池寛の短編小説「形」は、槍(やり)の使い手として勇名をはせた武者、中村新兵衛が主人公だ。「槍中村」と呼ばれ、その兜(かぶと)と陣羽織が見えただけで敵兵は恐れおののいた。そんな彼がある日、主君の子息から兜と羽織を貸してほしいと頼まれる▼ 明日の初陣で敵を驚かせ、ぜひ手柄を立てたいのだという。戦場に「槍中村」の姿を借りた若者が現れると、敵陣は乱れ始めた。力ある者の形だけでも力を持ってしまう▼ 同じよう
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    花屋の店先に春を感じるなどといえば、無粋の極みかもしれない。それでも小さくほころぶ桃の枝が飾られているのを見ると、軽やかな気持ちになる。その隣には、黄色い菜の花と青い麦を組み合わせた花束があった▼ 意外なようでいてお似合いなのは、麦畑の穂といちめんの菜の花が、かつてはどこにでもある農村風景だったからだろう。買い求めて花瓶に挿すと、春がそこにちょこんと座っているように見えた▼ 春の色があり、春の香りが
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    書院、文豪、ルポ……。これらの製品名から、かつてのワープロを思い浮かべるのは50代以上の方か。パソコン以前の過去の遺物。そう思っていたら、音楽評論家の片山杜秀(もりひで)さんが今もルポを愛用していると知って驚いた▼ 先月の本紙beによるとかれこれ35年の付き合いで、製造中止の前に慌てて中古3台を追加で買ったという。古い型だとインターネット検索もできないため「逆に書くことだけに集中できる」そうだ▼ 深
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    名探偵ホームズに奇妙な依頼が持ち込まれた。「報酬は高いのに、大英百科事典を1日4時間書き写すだけの仕事に雇われた。ことの全容を知りたい」。コナン・ドイル著『赤毛組合』は、書き写しという短期アルバイトの闇を描く▼ 昨秋、佐賀市で書き写しの仕事をした方々は不審だと思わなかったか。段ボール10箱分もの名簿にある氏名、住所、生年月日をひたすら署名簿に転記する。100人近くが10日を費やしたという▼ 芸術祭の
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    シドニー五輪の年に生まれた娘は聖火にちなみ「せいか」。続く息子たちも、誕生年に開催された五輪から「亘利翔(ギリシャ)」「朱李埜(トリノ)」。橋本聖子さんが自著の『オリンピック魂』で命名の理由を説明している▼ 父が付けた自身の名も聖火に由来する。幼いころ、その父から「補助輪を外しても自転車に乗れるのか」と問われ、「乗れます」とウソをつく。正直であれと念じた父に池へ放り込まれ、娘は反省する。翌朝、猛練
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    幕末の日本で暮らした欧米人士が困ったのは、氷が手に入らないことだった。生ものの保存にも患者の解熱にも欠かせない必需品。はるばる米国から船で「ボストン氷」が運び込まれた▼ 「氷なら国内にもある」と気づいたのは中川嘉兵衛という商人。富士山麓(さんろく)の氷を木箱に詰めて運び出すが、炎天に解けてしまう。試行錯誤の末、函館の五稜郭の氷を切り出し、東京へ海上輸送する。明治の初め、「函館氷」はたちまちボストン
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    《海 命 愛 友情 希望 平和 祈り 安らぎ 永遠》。愛媛県立宇和島水産高校の玄関にある石碑には、9人を悼む九つの言葉が刻まれている。20年前、ハワイ沖で実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦に衝突され、犠牲となった生徒や教官ら9人だ▼ 事故の全容は『海への祈り』という本に詳しい。3冊計970ページ。筆者は、副知事として米軍相手に船体引きあげや賠償の交渉にあたった矢野順意さん。退職後に3年がかりで執筆
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    始まったばかりの大河ドラマ「青天を衝(つ)け」で注目したのは竹中直人さんの存在感。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)を熱く演じた。頑迷きわまる尊皇攘夷(じょうい)の巨魁(きょかい)という印象の強い人物だが、意外と開明的な一面を持つと最近知った▼ 幕末、コレラが猛威をふるった際、斉昭は〈万民の助〉にしたいと手引書を作って領民に配った。〈日本国中、老少男女の区別なく感染する。良医や良薬のない片田舎では患者は
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    昼食を済ませた芥川龍之介がお茶を飲もうとした瞬間、強い揺れが来た。3歳と0歳の息子を助け出すことなく玄関先へ駆け出し、妻に叱られる。「赤ん坊を置いて逃げるなんて」。関東大震災の日のことだ▼ 延焼を恐れて、一家は翌日あわただしく避難する。子どもたちの衣類を抱えた妻と違い、作家は「漱石先生の書一軸」のみを風呂敷に包んだ。地震の際どんな行動をとったか後々まで語られるのが文豪のつらいところだ▼ 週末の夜、福
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    こんなクイズがある。父親と息子が交通事故にあい、二人とも大けがをした。救急車で別々の病院に運ばれ、息子のほうを担当した外科医は顔を見るやいなや叫んだ。「これは私の息子です!」。一体どういうことか▼ 外科医はその子の母親だったというのが答えである。クイズとして成り立つのは外科医と聞いて男性だと思い込む人が多いからだろう。そんな「無意識の偏見」について、連合は昨年、組合員ら5万人に調査した結果がある▼
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    昨年の秋、群馬県館林市にある美術館を訪れた折に、近くの多々良(たたら)沼まで足を延ばした。ちょうど夕暮れどきで、橙(だいだい)色に染まっていく水面にしばし目を奪われた。散歩に来ていた地元の方と話をして、ここは白鳥が越冬する場所だと知った▼ 数日前のニュースで、シベリアから多々良沼への白鳥の飛来がピークを迎えていると耳にした。暮色のなか、ゆったりと泳ぐ姿を想像する。例年より鳥の数が多いのは、大雪とな
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    害にしかならないような薬を服用し続けた例は、医療の歴史に数多くある。水銀入りの薬は長い間、気分の落ち込みから便秘、梅毒まで万能薬のように用いられた。米大統領に就任する前のリンカーンも頭痛などに悩まされ、常用した▼ 怒りの発作など水銀中毒に重なる症状が出ていたと、ケイン、ピーダーセン著『世にも危険な医療の世界史』にある。現代日本にも極めて危険な薬が潜んでいた。水虫などの治療薬に睡眠導入剤が混入した件
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    高名な画家の手によると思われていた作品が、あるとき贋作(がんさく)だと明らかになる。時折起きるそんな出来事が教えてくれるのは、今このときも偽物の絵が本物のような顔をして、どこかに展示されているという可能性だ▼ それをあからさまに口にしたのが、フランスの画家テオドール・ルソーである。「我々が語ることができるのは、見抜かれてしまうような出来の悪い贋作についてだけだ。出来のよい贋作は今なお壁にかかってい
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    早咲きの梅を求め、山野を巡ることを「探梅(たんばい)」という。山や野とはいかずとも、近所を歩き探したくなる季節になった。咲き始めの一輪、二輪がうれしいのは、冬から春への架け橋に立った気分になるからだろう▼ 中国や日本の絵画で、梅は蘭(らん)、竹、菊とともに「四君子(しくんし)」と呼ばれる。気品があり、高潔なところが君子のようだとされ、好んで描かれたという。先日ラジオで耳にした漢詩も、そんな雰囲気を
    钟鸥沉 2-10
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    ミャンマーの最初の王は選挙によって選ばれた。そんな伝説があることを根本敬(けい)著『物語 ビルマの歴史』で学んだ。人間たちははじめ仲良く暮らしていたが、だんだんと欲深くなり、対立や犯罪がはびこるようになった▼ そこでみんなで話し合い、一人の王を選んで安寧に統治してもらおうと決まったという。素朴なお話だが、伝説が人々の誇りになることもある。アウンサンスーチー氏もかつて民主化運動のなかで引き合いに出し
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    振り返ると失言のデパートのような森喜朗さんの政治人生である。その言葉は無軌道のようでいて、背景にある価値観も見えてくる気がする。論争や説得の軽視である。どちらも本来、政治に不可欠のはずなのに▼ 首相時代には、総選挙を前に無党派層についてこう述べた。「(選挙に)関心がないといって、寝てしまってくれればいいんですけれど」。政策を訴え、こっちを向いてもらう努力などする気がないように聞こえた▼ 今回の「女性
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    「折々のことば」と小欄は、軒を連ねるお店のよう。互いに干渉せぬ仲ながら、気持ちの上では支え合い、競い合う。休業中のお隣に代わり、「私の折々のことばコンテスト」から胸に響いた言葉をご紹介しよう▼ 今回は全国の中高生から2万9千編が寄せられた。札幌市の中学生冨田遥乃(はるな)さんの大切な言葉は、宮城県に住む祖母の「食う分さげあればいィ」。コロナ下で様子うかがいの電話をかけると、「津波に比べたら屁(へ)
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    食してよきもの干し大根、ゆり根、あわび。悪(あ)しきもの酢の物、そら豆、ごぼう……。はしか(麻疹)が猛威をふるった幕末1862年、そんな怪情報をたっぷり載せた浮世絵が出回った。「はしか絵」と呼ばれる▼ 「浮世絵というと現在では高価な芸術品ですが、江戸の庶民にとっては安価な情報媒体でした」。そう話すのは、埼玉県立嵐山(らんざん)史跡の博物館の学芸員加藤光男さん(59)。文字だけの瓦版と違い、絵と字で解説する
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    兵庫県伊丹市にある昆陽池(こやいけ)は奈良時代に僧の行基が築いた池である。歌枕としても名高く、池畔には西行や定家らの歌碑や詩碑が点在する。風光に富むこの池にいつしか、ヌートリアという動物が出没するようになった▼ 市によると、池周辺に限らず年に10件ほど通報がある。「畑の大根や小松菜を荒らされた」「堰堤(えんてい)や田のあぜを削られた」。職員らが出動し、捕獲することになる。生態系に害を及ぼす特定外来生物
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    国民の声に耳を傾け、吸い上げて政策に反映するのは政治家の本務である。それでも真剣に「陳情」を受けるのなら、時と場所というものがあるだろう。このご時世に深夜の銀座のクラブとは▼ 政府や自民党の要職にあった衆院議員3氏である。「陳情や要望を承るという立場で、一人で行った」。疑惑が発覚した先週、元国家公安委員長はそう釈明したが、真っ赤なウソだった。その陳情とやらの場には後輩2人も同席していた▼ 「前途ある有
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    このごろLINEやツイッター、インスタグラムを見ない日はない。すっかり仕事にも暮らしにも欠かせない道具になったが、情報に追い立てられる気分は抜けない。SNS疲れを自覚する▼ それなのに性懲りもなく新たなアプリを試してみた。音声版ツイッターと呼ばれるSNSで、「クラブハウス」という。米国で昨春生まれ、料理や通勤をしながらでも使えると話題に。日本でも利用者が増えている▼ だれでも好きなテーマのおしゃべりの場を気軽に作
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    1月 2日(土) 2月15日(月) 3月15日(月) 4月12日(月) 5月 6日(木) 6月14日(月) 7月12日(月) 8月16日(月) 9月13日(月) 10月11日(月) 11月15日(月) 12月13日(月) ※朝刊が休刊となります、東京五輪等により、変更になる場合があります。
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    秋田市の戸嶋郁子さん(55)は結婚して初めて迎えた節分の日のことを忘れられない。「鬼は外 福は内 天に花咲け 地に実(み)なれ」。二十数年前、いつもの掛け声とともに豆をまくと、夫が言った。「後半は何かのおまじない?」 生まれ育った秋田県の旧東由利町の実家では、「天に花咲け」と唱和するのが当たり前だった。雪深い地で、冬は昼間でも家の中が暗くて寒い。奥の座敷に鬼がいるような気がして、豆まきの日だけは、ふす
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    ロシアで続く反プーチン大統領デモでは、男性用の青色の下着が運動の象徴となっている。政財界の腐敗を告発してきたナバリヌイ氏の弾圧に憤る若者たちが街頭へ繰り出す ナバリヌイ氏は昨夏、暗殺未遂に遭った。「ロシア当局者が青いパンツに神経剤を仕込んだ」と訴え、自国に戻ったところを空港で拘束される。デモに加わった数千人も連行された 運動にはシンボルがもう一つある。トイレ掃除用のブラシだ。「黒海沿岸に大統領への賄
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    人が集まって飲み食いをする「共食(きょうしょく)」は、長い長い歴史を持つ。「同じ釜の飯を食う」という言葉に近いものは、早くも日本書紀に見られる。歴史学者の原田信男さんが『「共食」の社会史』で書いていた ヤマト政権に反乱した豪族の磐井が、かつての友と対立することになった場面でこう語る。「昔は吾(わ)が伴(ともだち)として、肩摩(す)り肘触り(す)つつ、共器(おなじけ)にして同食(ものくら)ひき」。肩
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    ピザという言葉を10回言ってください。「ピザ、ピザ、ピザ……」。では体のこの部分は?(とヒジを指でさす)。相手は思わず、ヒザと言ってしまう。おなじみの「10回クイズ」である。最初に繰り返した言葉に刺激され、脳がおかしな判断をするようだ では東京都の1日の感染者数が「1千人、2千人、1千人、2千人…」とさんざん聞かされてきた我々はどうだろう。千人を下回ったと耳にすれば、もう出口が見えたような気にもな
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    魚を表す漢字は、中国ではなく日本で作られたものが多い。中国の古代文明が栄えた内陸部は、海の魚に縁遠かったためではないかと、漢字文化に詳しい阿辻哲次さんが書いていた。島国ゆえに鰹(かつお)や鰤(ぶり)、鯛(たい)などの豊かな字が生まれたのだろう 鰯(いわし)も読んで字のごとく「弱くてすぐ死ぬ魚」の意味だという。そう考えると、新しく発見された「ヨコヅナイワシ」の和名がついた巨大魚は、ちっとも鰯らしくな
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    18世紀のロンドンでは、強い酒で値段も安いジンが大流行した。産業革命期の労働者にとって、手っ取り早く酔える酒は、つらい仕事を忘れる手段だったと飯田操著『パブとビールのイギリス』にある 人々の身体をむしばむ事態を何とかしようと政府はビールを奨励した。その頃作られた「ジン横丁」なる版画は、泥酔して授乳中に赤ん坊を落っことす母親など、酒におぼれる男女の図だ。「ジン、忌まわしい悪魔………」の文も添えられて
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    不条理なことばかり起きるのは、そこが鏡の国だから。まっすぐ歩こうとすると反対方向に行ってしまう。お店の棚には商品がいっぱいなのに、見つめると空っぽになる。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』である この世界に君臨する「赤の女王」に、アリスがのどの渇きを訴える場面がある。「ほしいものをあげましょうね!」と言われて渡されたのは、水ではなく、ぱさぱさのビスケットだ いまの私たちも、何だか不条理劇のなかにい
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    大記録が目前に迫る。どんなスポーツであれその選手は、声援を背に精神を集中するものだろう。ハンク・アーロンさんの場合は違った。ベーブ・ルースの本塁打記録714本に近づくと脅迫の手紙が毎日のように届いた。アーロンさんが黒人だからだ 「親愛なるハンクへ 700号を超えたら、弾丸が体に風穴を開けるものと思え」「アーロンさんへ 球界から引退しないのなら、家族にも大きな影響が出る」。応援の声も多かったが、同時
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    明治後期の東京に、その一角だけ洋館が立ち並ぶ場所が生まれた。丸の内の陸軍練兵場の跡地に、三菱が1号館、2号館……と事務所を建てていったもので「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」の呼び名がついた。まるで小さなロンドン。当時の人々の驚きが伝わってくる 大正期には、その近くの東京駅前にもビル群が現れ「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれた。「一万五百人の就業員を包容し、不夜の電燭(でんしょく)、不断の自動車……
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    かつて原爆を作らせようとして成功し、原爆を使わせまいとして失敗した科学者がいた。物理学者レオ・シラードである。ハンガリー生まれのユダヤ系でナチスの迫害を避けて米国へ亡命した 「ナチスに対抗するため原爆を開発すべし」。1939年、親しいアインシュタインを説得し、そんな書簡を米大統領に送った。シカゴ大に職を得て、核分裂の臨界実験を成功させた一人となる ライターの大平(おおだいら)一枝さん(56)は4年前
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    「7月に開幕しないと信じる理由は何もない。だからプランBもない」。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の言葉に考え込む。共同通信の取材に応じた。この感染拡大下でほんとうにプランAしか手元にないのか 米紙が先週、IOCに今夏の開催を危ぶむ声が出ていると報道。「第2次大戦後、初の五輪中止か」と踏み込んだ。英紙は今週、「日本は今夏の開催をあきらめて、2032年開催を目指す方向」と報じた むろん政府は火消しに
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     明治生まれの歌人、斎藤茂吉が少年時代の初詣のことを書いている。今とはかなり違っていたようで、その日が近づくと冷たい水を毎朝浴び、魚も虫も殺さないように努める。父と一緒に2日がかりで歩いて、山岳信仰の地へ向かう▼山道では雨と風にたたられ、笠を飛ばされてしまう。凍った谷を渡ると滑りそうになり、腹ばいになって進む。「今時のやうに途中まで汽車で行くのではない」と茂吉は随筆で振り返っている▼列車に乗って、
    jpsquare 1-23
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    「流行を作っているんじゃない。私自身が流行だから」。仏デザイナーのココ・シャネルは多くの名言を残した。強気の弁もあれば、寂しげな述懐も。高級ブランドの創業者として名高い彼女が亡くなって今月で50年となった その人生は映画や小説で幾度も取り上げられてきた。母に死なれ、父に見捨てられ、孤児院で育つ。裁縫の下働きから身を起こし、27歳で帽子店を構える。第2次大戦直後は、対ナチス協力の疑いで批判を浴びた デザイ
    niangnan 1-22
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      拍子抜けを通り越して、床にへたりこんだ。就任後初となる菅義偉首相の施政方針演説。期待をこめて読んだのにヤマ場の来ない小説、あるいは途中で居眠りを誘われる映画のようだった   わずかに信念を吐露したのは、政治の師と仰ぐ故梶山静六・元官房長官の教えに触れたくだり。初めて国政の場に出た当時、こう諭された。「国民の食い扶持をつくっていくのがお前の仕事だ」と   扶持とは、主君が家臣に与えたお米のこと。武
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    夫が米副大統領だったころもジル・バイデンさんは教壇に立ち続けた。警護官には学生ふうの服を着てもらい、装備品は背中のリュックに。日々接する自分の生徒に要らぬ心配をさせたくなかった 結婚前から地元の高校や短大で英語を教えてきた。55歳で博士号を得て、愛称は「ドクターB」。宿題が多く採点も厳しいが、移民や貧困層の生徒にはやさしかった。授業を終えて夫の待つ専用機に駆け込み、外国訪問に向かったこともある ファース
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    「今年は真人間(まにんげん)になって まじめに働きます」。怪しげな年賀状がどこやらの刑務所から届く。検印の欄には「犬井」「犬塚」「犬飼」と看守ら3人のハンコが。どれもイヌ年にちなんだ 1970年の正月、画家安野光雅(あんのみつまさ)さんが送ったあいさつ状には、だれもが腰を抜かした。そんな遊び心が彼の創作の原点である。意表を突くだまし絵は国内外で愛された。「三次元では起きないことが二次元なら起きる。見

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